メディア学科の授業『映像表現特講』から、一部を書き起こして掲載します。

2021年1月14日 ゲスト講師:濱口竜介 氏

追記:2021年3月、新作『偶然と想像』で第71回ベルリン国際映画祭審査員グランプリ(銀熊賞)を受賞されました。誠におめでとうございます。

※ 講義は新型コロナウイルス感染防止のため、Zoomを用いた遠隔授業として実施されました。

西尾 この授業は映像表現特講の第14回になります。 ゲスト講師をお招きしての講義は今回が最後になります。今日は馬場先生のご紹介で、映画監督の濱口竜介監督にいらしていただいています。ご紹介は馬場先生にお任せするとして、今日はちょっと豪華なゲストということで杉原賢彦先生にもご参加頂いて、いろんな質問を踏まえつつやっていきたいなという風に思っています。質問は随時受け付けます。 チャットに書き込んでもらってもいいですし、名前を見られたくないということであれば、いつも通り「西尾(質問はこちらへ)」と書いてある方に頂ければ匿名の質問としてご紹介します。では始めていきたいと思います。馬場先生よろしくお願いします。

馬場  よろしくお願いします。おはようございます。では早速ですけれども、映画監督の濱口さんです。簡単なご紹介をといいましても、詳しいプロフィールはインターネットでお名前を検索するとたくさん出てきますので、もう各自お読みいただくとして、最近の話題ですと『スパイの妻』という映画が今公開中ですけれども、その脚本をお書きになって、作品は見事に大きな国際映画祭で受賞(第77回ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞)されています。他にも、もちろん映画監督ですので、ご自身の監督作品でも多くの国際映画祭に出品されています。本当に素晴らしい、日本を代表する監督でいらっしゃるので、もう褒めるのはこの辺にしますが、本当に素晴らしい方ですので、私もお話をうかがうこの日を非常に楽しみにしておりました。

濱口 監督の濱口です。今日は呼んでいただいて馬場さん、ありがとうございます。杉原さん西尾さんもよろしくお願いします。皆さんよろしくおねがいします。そう、ちなみに、馬場さんとはですね、同級生ではなくて、馬場さんが先輩ですね。大学院の先輩です。

馬場 もしかすると同級生になっていたかもしれないですよね。

濱口 ははは。そうですね。馬場さん一期生で、僕が二期生なんですけれども、一期生落ちてるんですよ。なかなか狭き門だったんですけれども。芸大時代には何本か馬場さんにお手伝いもいただいていますね。

馬場 修了直後か、韓国の映画学校との共同制作がありましたですね。

濱口 はい。そのときにもご参加いただきましたね。絵コンテを最初の方描いていただいたり。

馬場 おそらくあれはソフト化はされていないと思いますが。

濱口 されてないですね。

馬場 残念ながら観られない作品ではあるんですけども。というか、濱口さんの作品は、たくさん撮られているのに、観られない作品が多いという。そのうちなんとかなるのではと思っていますけれども。

濱口 以前の作品というのは、東京藝術大学と韓国のKAFA(Korean Academy of Film Arts)、日韓の映画学校同士で『THE DEPTHS』という映画を小規模ながら撮りました。『THE DEPTHS』には馬場さんも参加してご存知だとは思いますが、本当に大変だったんですよね、日韓共同制作って。文化や言語が違うっていうのは大変だなと思いながらやったんですけれども、本当に得難い経験でした。韓国人の俳優に対して演技にOK・NGをどう出すんだということを結構気にしていましたが、意外と分かるな、と思ったんです。もちろんセリフを「こう言っちゃってましたよ」とかは通訳さんがつかないとわからないですけど、ただ、感情的なありようというのは、意外と本当にその言語がわからなくてもOK・NGを出せるものなんだなっていう経験がありました。

馬場 先程、冗談めかして「観られない作品が多い」と言いましたが、自主制作みたいな形で作品をつくると、劇場公開までは行くけれども、ソフト化するのはハードルが高いですよね。ところで、濱口さんは自主制作もされるし、ドキュメンタリーも撮ってらっしゃいます。劇映画の監督だからといって、もうプロの劇映画しか作らないという感じでは全然ないですよね。そのあたり軽々と越えていくというのは、何か気の持ちようとかあるものですか?

濱口 ジャンルの横断的なことでいうと、これは大学院の話に無理やりするわけではないですが、黒沢清さんの影響というのがすごく大きいと思いますね。大学院の先生が黒沢清さんという『スパイの妻』の監督もされた人です。黒沢清さんご自身はドキュメンタリーを別に撮っているわけではないんですが、黒沢さんが繰り返し大学院の授業とか、本とかでも書かれていることで、「カメラっていうのは基本的には現実を記録する機械だ」と仰るわけです。その記録された現実っていうのはもう変えることができないような、少なくとも非常に変えづらいような絶対的な過去として映像に定着してしまうと。そのカメラの記録の力、記録性みたいなことを一番に仰るんですよね。だから、そういう記録の力を持ったカメラを使ってフィクションを撮るっていうことが、本来どれだけ負け戦であるのかっていう認識を与えてもらいました。話をつなげると「カメラの能力の本質は(表現よりも)記録にある」とすれば、ドキュメンタリーを撮るっていうのは、もちろん段取りは色々違いますけど、心持ちとしてはそんなに劇映画と違わずにやれました。カメラの本来の使い方っていう気がするんですね。ドキュメンタリーでしか撮れないようなものっていうのも凄く沢山あるし。なので、ジャンルを横断しているっていう認識は、まあ、さっきも言ったように段取りが違うので全く無いわけではないけれど「無いものかのように振る舞おうか」とは思っているし、実際それは可能なんだとも思います。

馬場 じゃあ結構意識的に色々とされているんですね。

濱口 意識的というか、そういうタイミングが来たら拒まない、という方が正確かもしれません。どうしてもまず色んな現実のノイズっていうものを記録してしまうカメラっていうものの一番良い使い方っていうのはなんだろうみたいなことを、結構素朴に考えている。で、そのカメラをフィクション、演技っていうものに向けるっていうのは、どういうことなんだろうっていうことを、幸運にもずっと考えながらやれてきたっていう感じはあって。単純に……まあこれを言うとですね、すごくいい人生みたいですけど、やりたいことをやれてきたっていうことなんですよ。「あ。こういうことに興味がある。こういうことがなぜなんだろうと思っている。じゃあ、一体どうやったらこれがうまくできるのか」とかいうことを考えていたら、自然と色々やることになっている。で、気がつけばそれに対してサポートをしてくれる人も段々と増えてきてっていう感じですかね。

馬場 先程「同級生になるところでした」という話で、以前おうかがいしたことがあるんですが、一度目の入試の最終面接のとき「商業映画に興味はあるか?」と聞かれて、あまり無いようなことをお答えになったと。

濱口 これは、落ちた人間の言っていることなんで、本当にそれが落ちた理由かはわからないんですけど、当時、一期生の最終面接で「君、こういうもの撮ってるけど、商業映画を撮る気ある?」っていうことを言われて、まあ正直、教授の面々を見てそう言っても大丈夫かなと思って、「いや、そんなに商業映画を撮ろうと思っているわけでは全然ないんですよね」っていうことを言いました。先生から後々「なんであそこでああいうこと言っちゃうの」っていう話はされましたね。それを聞いて「芸大っていうのは基本的にプロフェッショナルを育てる場所として設立されて、その一期生だから、そういう風に言う人は基本的に入れませんよっていうこと」なのかしら、と。ただ、単純に相対評価で落ちたんだと思います。本当に一期生っていうのは、馬場さんがいる前で言うのもなんですけど、多士済々でしたから。個性でいったら、完全に負けていたっていう感じはすごいするんで。

馬場 いや、そんなことは無いと思いますけど。二期生の方々、充分個性的でいらっしゃった。

濱口 まあまあそれは、自分以外のことは。

馬場 まあでも、設備が整った後で入っていらして、そこは羨ましかったです。

濱口 ははははは。それが一番大きい、二期で良かったって思ったところです。

杉原 芸大ができたとき、プロというか、本当に商業映画を撮れる監督をつくるというのは学科長の堀越謙三さんが言われていたんですね。なので、多分、商業映画興味ないっていうと、おそらく落ちると思います。

濱口 そうでしょうか(笑)。なので、二期で同じ質問されたんですけど「いや。撮ります」って、その時は言いましたね。「いや。撮ります撮ります」って。

馬場 実際に商業映画を手掛けるようになられて、どうですか?

濱口 もちろん今撮っているものも商業映画で、人のお金で、その人たちに経済的なリスクは背負ってもらう形で撮っているわけなので、最低限というとおかしいですが、責任はあるわけですよね。なので、それは勿論果たすつもりではいるんですけれど、ただ、どっちかというと、自分の興味があることをさせてもらえるような企画を選ぶようにはしているんですよね。おかげで、あんまり撮れてないですけど。商業映画を撮りながら、結局自分がある程度、考えたいことを考えられるような枠組みを探しつつ、やっている感じです。『ドライブ・マイ・カー』なんかも俳優の、演技の話ですし。ただ、まあ、自分が一生かかっても稼げなそうなお金っていうのがかかっている。それをちゃんと回収しないと次がないということはわかっているので、ちゃんとやるつもりではあるんですが、まあ、なかなかね。『寝ても覚めても』に関しても、次の『ドライブ・マイ・カー』に関してもありがたいと思いながら撮っています。よくこんなことにお金を出してくれる人がいるものだと思いながら撮っているっていうのが、凄く正直なところなんですよ。

馬場 なるほど。芸大にいる頃も、卒業されてからの自主制作でも、結構長い作品が多いですよね。いま、お金の話がちょうど出ましたので、単純に言って、長い作品だと沢山お金が必要になりませんか?

濱口 そう思うでしょ。

馬場 そうでもないんですか?

濱口 ないんです(笑)。いや、そんな大した話でもないんですが。修了制作が基本的に皆同じ条件なんですよね。撮影10日間で予算200万円。スタッフは大学院にある撮影とか録音とかのコースの学生ですから、人件費は浮くんですけれども。まあ、その条件で何ができるだろうっていうことを考えていたりして。当然、リソースを集中的に投下したほうがすぐれた作品ができる可能性が高いので、一期生は短編が多くて。ただ、僕は30歳間近で、今後長編を撮れるチャンスが巡ってくるかわからないというところがあったので、ここで勝負の長編映画をつくりたいっていう気持ちはすごくあったんですね。このときに、考え方を変えようと思ったんですよ。例えば、1日は24時間ある。が、映画は2時間だと。つまり、もし仮に、1日のなかに充実した2時間みたいなものが存在して、それを撮ることができれば、それは映画になるはず。基本的には。なので、長いものを撮るっていう事自体は、そんなに難しくはなくって、問題はどうやって長いものに緊張感をもたせるかっていうことの方だなっていうことを思ったんですよね。一期生はすごくがんばって一個一個のショットを撮っていて、まあ、狙いすましたショットっていうのを撮ってる印象があったんですよね。それは二期生の他の人達のを見ても感じていたんですけど、現場に手伝いに行ったりもして「そうか。『狙い』っていうものがあると1日の時間がどんどん過ぎていくんだな」っていうのも思っていた。「こういうものが撮りたい」という確固としたイメージがあって、そういうものに近づけようとしていったら、そりゃ当然時間がかかるっていうことなんですけど。ただまあ『PASSION』っていう修了作品のそもそものコンセプトが画の狙いをあまり持たない、ということでした。最低限、ここにカメラを置いたら、次のカットとこういう風につながる、そういう目算は一応あるんですけど。そのとき撮れたものっていうのをある程度受け入れる、と覚悟を決める。ただ、その撮れたものっていうのは何でもいいわけでは勿論ない。そのときに狙い定めたものっていうのは、それはその自分のそれまでの課題っていうのもあるんですけど、俳優の感情みたいなもの、それを引き出そうっていうことを思ったんですよ。それが映れば、ある時間の中に緊張感は生じるだろう、と。それに先立つ話でいうと、ジョン・カサヴェテスっていう監督が好きで映画を始めたようなところがあるんですけど、非常にエモーションを感じさせるのが彼の映画で、そういうものを撮りたくて映画を始めたはずだったんだけども、当時結構そういうところから離れてしまったなあっていう感じがあったんですよね。『PASSION』の前にやっていたのはそれこそある狙いの画があって、そのために俳優をこう動かしてっていう風に撮っていく。するとやっぱりなんというか、感情が出てこないとはいわないけれど、指示をされると「こう言われたからこう動く」っていうことに俳優はなるし、そのことが画面には映るわけですよね。そのことは今は、もうちょっと確信を持って思いますけど。狙いに俳優を沿わせると、エモーションを捉えることがどうしても難しくなるっていうことがあったので、『PASSION』のときは脚本だけを渡して、このセリフを言っていただければ、こちらとしてはもうそれでいいんです、どういう風に言ってもらってもいいですっていうようなことを役者さんたちにはお伝えしました。で、こっちはそれを撮りますんでっていうスタンスでいくと、自然と、いままで自分が見たことがないような役者自身の感情っていうのを『PASSION』では見ることができた気がしています。それが転換点ではありました。優先順位をフレームではなく、俳優に切り替える、というか。狙い定めたものではなくて、撮れたものを受け入れていくっていうようなことをしていくと、長編を撮れるようには、なります。
でも、今の話だと狙いもなく粗製乱造しているように聞こえるかもしれませんが、そういうことでは必ずしもなくって、ふたつの自分の課題がちょうど一致したっていう感じですかね。俳優の感情に狙いを定めるっていうことと、長編を撮りたいっていうことが一致して、そのときに長編を、こういう風にすれば撮ることができるんだっていうことは発見をしました。ただ、いま、そこから十数年たって思うけど、やっぱり時間をかけなきゃいけないことっていうのはあるなっていうことを、ドキュメンタリーの経験を経て、今はどっちかっていうと思っています。「狙い」を持たなければ長編はいくらでも撮れるけど、ひとつの作品に掛ける時間っていうものは確実に作品に力を与えるものなので、それを今度はどうやって得ていくのかっていうのが、結構いまの課題かなっていう風な気がしている感じですね。

馬場 修了制作の『PASSION』は長い作品ですね。

濱口 2時間くらいですね。

馬場 その前にも長編がありましたね。一期生の修了制作が終わった後くらいの時期で、スタジオに行くと宇宙のセットがありました。SF小説(スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』)を原作にした『SOLARIS』という作品で、これは外に発表するのではなく、実習のひとつという位置づけでしたが。あれはどのくらいの長さでしたっけ。

濱口 あれは90分くらいでした。まあ、でも一応あれは「長編実習」という枠だったんで。だから予算も倍ぐらいあったんです。400万くらいあって。かけられる時間も多い実習企画ではあったので。まあただね、そこで得た反省が色々あって、『PASSION』になるっていう感じですけど。

馬場 『SOLARIS』の当時は、まだ狙いすましたショットを撮ろうっていう感じがあったんですか?

濱口 はい。あ、でも、方向転換した理由のひとつとして、「俺は狙いすましたものを撮っても、そんなに良くない」っていうことを思ったんですよ。

馬場 ははは。

濱口 やっぱりこれはね、ある種の才能のような問題ってあると思うんですけど。あるショットをいかに構想して撮ったところで、自分には限界がある、と感じたということですかね。まあ芸大とかにいると才能っていうのを周囲に目の当たりにするんですよね。あ、こんなショットは思いつかないとか、こんなフレームでは撮れないとか、そういうことを思う機会っていうのは凄く多かったんです。『SOLARIS』っていうのは、どっちかっていうと人物をカチ、カチ、カチっと動かすような、そういうものだったんですけども、ただ、それでも、ものすごくフレームがバッチリ決まっているとか、そういうことでも結局の所なかったから、自分のある種の限界っていうのをそこに見たっていうことだと思います。その周りとの比較も含めて。「ああ、俺はちょっとこっちではだめなんだ」とは思わないけど、元々そうではなかった、そういうことがやりたいわけではなかったということもあるし、色んなことのあわせ技で、その方面から少なくとも一旦離れた。狙いすますというか、決定的なショットを撮る、これぞ映画だみたいなショットを撮るっていうことからは、一番最初のはじめから構想して撮るっていうことからはちょっと離れていくっていう感じですかね。

馬場 『SOLARIS』はSFで、特撮という点では、はじめからショットを決めておかないと撮れないということもあったと思いますが、そういう不自由さというのは息苦しかったですか?

濱口 まあそうですね。合成をしなきゃいけなかったんで、絵コンテとかも描いたり。といっても、線だけの簡単な感じのもので、それもすごく恥ずかしかった。挑戦は挑戦だったんで、楽しいは楽しいですけど、でもやっぱり考えた通りのことをやるっていうのは、あまりワクワクしない。勿論、ワクワクする人も沢山いるんでしょうね、自分のイメージを物凄く精細に持っているっていうような人は、自分のイメージが具現化していくときにワクワクするんだと思うんですけど、考えた通りのことをやるっていうのは、まあ、そんなに楽しくなかったです。そんなに発見っていうものがなかったし、自分が一体何を楽しんで映画を撮っているのかっていうことも逆説的にわかるというか、そういう感じはありましたね。すみません。観られない映画の話を延々として申し訳ないんですけども。

馬場 では比較的観られる方へちょっと振ってみたいと思います。東北のドキュメンタリー、『なみのおと』ですが、あれは卒業して何年目くらいでしたか。

濱口 あれは3年ですかね。2011年という震災の年だったので。3年経って、あれも芸大からの依頼で撮ったんです。だから、『なみのおと』ぐらいまでは「芸大時代」みたいな感じですけど。

馬場 あれは現地に行って、そこに生活をして、というスタイルになるわけですけど、抵抗はなかったですか? 作品を作るために生活拠点を移すということについては。

濱口 段階的だったっていうこともあるんですよね。2011年の3月11日に震災が発生して、5月に行ったんですよ。4月くらいに依頼をもらって、色々ちょっと準備して、5月くらいに行ったと。その時点では居を移すということまでは考えてなかったんですよ。ただ、その当時、仙台にはアーティストたちもすごく沢山集まっていた。「何かできないか」っていうモチベーションも勿論あったんだと思いますけど、何よりも震災の風景っていうものを自分の目で見たいと思っているような人たち。そういう人たちが集まっていて、そういう人たちが滞在できる場所っていうのが用意されていたんですね。それはせんだいメディアテークっていう仙台市の文化施設の「3がつ11にちをわすれないセンター」の甲斐さんという人が用意をしてくれた場所だったんですけども。そういうところに泊まってやっていて。共同監督の酒井耕というひとと、もうひとりカメラマンの北川喜雄くんっていうひと、『ハッピアワー』も撮ってくれているんですけど、二人とも芸大の一期生で馬場さんの同級生ですね。そのひとたちと共同生活するように始まって。で、4ヶ月位いて、一番最初に『なみのおと』っていう第一作ができる。津波の被害にあったひとたちのインタビューをまとめたものなんですけど、物凄く当たり前のことなんだけども、これがね、まあ、全然足りないっていうことがわかるわけですよ。だって、その時点で2時間20分の映画ですけど、6組、6組11人ぐらいしかインタビューしてない。どこまでやっても充分でないっていうのは、これは明らかなんですけど、あまりに少ないと。「震災」っていう事態とがっぷり四つに向き合うっていうことからしたら、全然やっぱり足りないなっていう感じがすごく自然とあって。で、酒井とも話して、まあこれで終わらせるわけにはいかんよねっていう話をして、結果的に東京を離れて、2年くらい東北にいたっていう感じです。

馬場 長い間いると、最初は見えてなかったものが見えてくるというようなことはありました?

濱口 これは、あると思いますね。まずインタビューをするんですけど、津波の被害にあった方たちとか沿岸部に住んでた方とか、そういう方にインタビューするんですけど、やっぱり最初は本当に当たり障りのない話しかしてもらえないっていう時期があって。その長い滞在期間の間に、最低3回、できれば4回くらい、カメラを持たずに会いに行くっていうことをして。撮影の前に、向こうのことを知るのも勿論だし、我々のことも知ってもらうというか、最低限、安心してもらうっていうことが必要だなと。自分たちがやろうとしているインタビューは、どっちかっていうと、括弧つきの「被災者」みたいなものではなくって、もうちょっとちがう、その人のナマの声みたいなものが出てこないかなと思っているインタビューだったので、そういう準備期間は凄く必要だったという気がします。結局、それでもできたのは30人強なんですけど、30人でも3回4回みんなに会ってるので、結構な日数になって、結果的に2年かかったっていう感じです。でもそういう時間をかけないと出てこないものがあるし、逆に時間をかけたら出てくるものがあるということは、そのときに結構実感したというか。『PASSION』の話とはまた逆の話ですが、時間をかけずにこういうものが撮れるというのは勿論あるのだけど、じゃあ、時間をかけたらこれくらいのものが撮れるんだっていう発見が、そのときに結構あったっていう感じだと思います。

馬場 そのドキュメンタリーでは、カメラを正面に置きますよね。

濱口 はいはい。

馬場 正面同士の切り返しという、割と特殊な撮り方ですけれども、その後の作品を観ていても、割と正面から撮っているなと思うことがありますが、このドキュメンタリーを撮ったっていうことで、そのあたりの影響というのは大きかったですか?

濱口 ドキュメンタリーで、なぜああいうところにカメラを置こうと思ったのか。インタビューでも基本的には人物に対して斜めに置くっていうのが多いと思うんですよね。ディレクターがカメラの脇にいて、インタビューされる人はディレクターとか質問者の方を見ているから、カメラの方を見ないっていうことが多い。それに対して、被写体の真ん前にカメラを置くっていうのは、我々の文脈からいくと、これはフィクション、みたいなものを撮るんだっていう宣言だったと思います。今は我々が使っているZOOMの画面に近いような、「カメラ目線」が生活のなかにすっかり入り込んでいるので、また感覚が違う気もするんですけど、当時はそういう意識がありました。これはどちらかと言えばフィクションのカメラポジションなんだと。さっきのジャンルの横断っていう話みたいなのにまた近いんですけど。カメラっていうのはもともと記録に向いている、ドキュメンタリーに向いているっていう大前提はあったとしても、僕自身は基本的にはその記録の機械を使ってフィクションを撮る人間なんだっていうことをどっちかっていうと思っている。だからドキュメンタリーを撮るときも、ある種フィクションを撮る心持ちで臨んでいます。で、それは実際にそういうものです。フィクションとドキュメンタリーは分けることができない。これはよく言われるような話ではあるけれど、インタビューなんて本当のことを話してくれるわけではまずないし、そもそも本当とは何かみたいなところもあるし、編集をされてしまえば、これはね、もう今の若い世代の方なんかでユーチューバーなんかもしやっていたら全然わかると思うけど、いくらでも発言の順番とか変えられてしまうし、印象だって操作できてしまう。ただ、報道なんかを通じて結構素朴に「被災者」の証言っていうのは信じられてしまうっていう印象もあるから、ドキュメンタリーとはフィクションなんだっていう大前提を、見るひとと共有することが、必要なことだと思っていました。そういうものとしてカメラを正面に置いてみるっていうとこから、ドキュメンタリーを始めてみるっていうことをした結果、ここまで力強いものを撮ったことがなかったっていう感覚を得ました。さっきナマの声を撮ろうとしているって言いましたけど、そういう生の声を発するような瞬間、それが自分に向けられているように、体験したときには、これはすごいなって、思ってしまったっていう感じですかね。あんまり多用してはいけないとさえ思うけど、でも未だに置いてしまう。

馬場 特徴的なポジションですよね。撮影現場でも普通の撮影とは違って、互い違いになって話して頂くような、ちょっと工夫が必要とうかがいましたけど。

濱口 そうです。これは見ていない人にはすごく説明しづらいんですけども。話す二人の人を、正面から撮っています。我々が撮ったインタビューって、我々がインタビュアーを務めることも勿論あるんですけど、基本的にはそもそも面識のある、何なら親しいお二人におしゃべりをしてもらって、それを撮るっていうものだったんですけど。そうすると、向かい合って喋る二人の人間っていうものを正面から撮るとしたら、カメラはその間に割って入んなきゃいけなくなるっていう問題がある。で、「割って入る」というのはあまりに暴力的なんで、ちょっとだけずらしたっていうことですね。向き合っている人をちょっとずらして、で、カメラの置き方もずらした。それで、最終的に編集でつなぐと、それが正面を向いて話し合っている人みたいに見えるという、すごくシンプルな配置から生まれるある種のフィクションなんですけど。それを使って対話のインタビューっていうのを作っていた。見る人が見れば、それは「作られたものだ」っていうことが、はっきりわかる。でも一方ですごく生々しい声による語りっていうものがあるっていう。そういう二重のものにしようとしていたし、なったんじゃないかと思っています。

馬場 自然な状態を撮ろうとしたときに、ひとつの方法としては、隠し撮りみたいなこともありうるわけですけども、まあ野生動物を撮るのとは違って、人間に対してカメラを向けるということになると、あえてフィクション度が高いようなセットアップをしたほうが、かえって生々しい意見を言ってくれたりするみたいな効果はあったりするんでしょうか。

濱口 これはね、あると思いましたね。やっぱり、いま話したような状況っていうのは、おかしいわけですよ。普段、向かい合って話すっていうことはある程度普通ですけれど、そのとき目線をじっと合わせるかどうかは別にして。それをずらして、カメラをお互い見て話している状況っていうのは、まあ、変なもので。少なくとも社会人はやらないわけですよね。大人の人間はやらない。ごっこ遊びみたいなところがある。だけど、ドキュメンタリーを通じてそういうことを感じるのも変な話ですが、演じるっていうことのある種の力というか、すごく特殊な状況で「自分は何かを演じている」っていうときにだけ出せるその人自身っていうのも、きっとあるんだなっていう気もしたんですよね。見つめ合って生々しく会話しているときにしか出てこないものも勿論ある。だけど、演じるっていうことによって、それまで表現できていなかった自分を表現できるっていうこともあるんじゃないかなっていう気はすごくしました。特に被災した人たちにとって、言えること言えないことっていうのが、すごくある状況だったので。ただ、今この場で、対話している相手は基本的には親しい相手なんで、この人にだったら言えるかもしれない。もしくは、いまこの人にこういうことを言いたいっていう。今まで言えなかったようなことを言いたいっていう、そういう場に、かえってなったという気はしました。演じるっていうことを通じて、かえってその人が生々しく現れるっていうことはあるんだなっていう体験はしました。

馬場 普段言わないことを言うという点では、これは濱口さんの作品の中でもしばしば出てきますね。意図的なのか、あるいはどなたかが分析されているかもしれませんが、とにかく食卓を囲むと喧嘩が始まる。

濱口 ははは。そうですね。

馬場 でも、壁がないと喧嘩しないんです。野外で東屋みたいなところで集まっていると大丈夫なんですけど、壁のある部屋の中で食卓を囲むと絶対喧嘩するっていう。これは意図的なんですか、それとも自然とそうなってしまうんですか?

濱口 多少そうなってるところはあるかな。ただまあ、どういうところで自分を出すかっていう問題。これはどっちかっていうとリアリティの問題みたいなところですけど……やっぱり、東北でドキュメンタリーを撮ったときも、すごい奇妙な空間で撮るんですよね。奇妙な空間っていっても、だいたい公民館とかなんですけど。だだっ広いスペースが必要なんですよ。カメラポジションのために引き尻っていうものが必要なので。あるレンズで撮りたい、だとするとこの距離が必要っていうようなことがあるから。じゃあ屋外で撮ればいいじゃないかっていうことにはならない。なぜなら、まず第一には音声の問題がありますよね。インタビューのときは風に吹かれたくない。ただ、まあ、どっか周りから隔てられていないとでてこないものがあると思っていたとは思います。当時、実際の被災の現場に行って、現場を見ながら話すっていうインタビューがすごくよくあったんですよ。ただ、なんかそれはやだなっていうことを思った。我々も3回4回その人達に準備として会いに行くとき、そういうところに立ち会うんだけども、「ここで流されて」とか、そこで出てくるエモーショナルなものっていうのも、勿論あるんだけれど、何ていうのかな……自分たちが聞きたい声っていうのとは、ちょっと違うもの。やっぱり「被災者」としてのその人、みたいなことが出やすくなっているような印象っていうのがあったので。だからその人の家とかそういうのでなくって、それまでの自分から切り離せるっていうのを−まあ人にもよるんですけどね−この人はそういうとこでやったほうがいいなって思う人は、公民館とかそういう閉じられた空間でやっていたような気がします。

馬場 社会派というか、取材をされるにしても、いわゆる普通のジャーナリストがやるようなスタイルではないわけですよね。震災にしても社会問題として描くというよりも、その場にいる人に着目されている感じがします。でも社会問題に全然興味がないわけではなくて、例えばミニシアターを助けようという活動もされていますし。あ。唐突ですが、そのお話をちょっとお願いできますか。

濱口 ミニシアターエイド基金のことですね。これは、先程のお話と接続すると、まあ僕はねほんとに個人的なことしかできないんですよ。ミニシアターエイド基金っていう、ミニシアターを助けるクラウドファウンディングを去年の4月くらいに立ち上げたんですけど、これは社会問題っていうより、完全に自分自身の「俺が行ってるあの映画館が潰れちゃ困る」っていう、その気持ちなんですよね。社会構造とか、社会を良くしたいという気持ちは人並みに一応持ってはいますけど、ただ、それを社会運動みたいな形でやるっていうよりは、社会問題っていう枠にくくられていることが一体自分とどう関係しているのかっていうことのほうを確かめたいっていう感じがあるんですよね。そこからしか、始めづらい。そういうアプローチしかできないっていうところがあって。それですごく個人的なことを撮っているっていう気はしてます。それと社会がどうつながるのかを探している、というところはあります。

(6)につづく


特別連載:『映像表現特講』

(1)ゲスト:杉原永純 氏

(2)ゲスト:杉原永純 氏

(3)ゲスト:松井宏 氏

(4)ゲスト:松井宏 氏