メディア学科の授業『映像表現特講』から、一部を書き起こして掲載します。

2020年12月3日 ゲスト講師:松井宏 氏

※ 講義は新型コロナウイルス感染防止のため、Zoomを用いた遠隔授業として実施されました。感染防止の対策をしたスタジオで収録を行っています。

西尾 今日は映像表現特講の第10回になります。本日のゲスト講師は、映画プロデューサーをされている松井宏先生です。事前にGoogleクラスルームの方で、松井先生が携わられた映画作品等の資料を配布していますので、そちらを参照しながら受講して下さい。聴講の方々には後ほどZOOMのチャットで資料をお送りします。本日も馬場先生に入っていただいて対談形式で進めていきたいと思います 。それではよろしくお願いします。

馬場 よろしくお願いします。では早速ご紹介ですけれども、松井さんです。映画のプロデューサーをされています。お子さんお元気ですか?

松井 子供はもうすぐ2歳です。元気に生きてくれています。

馬場 映画のプロデューサーと言っても、大きな会社に所属している方もいらっしゃるんですけれども、そうではなく活動されています。

松井 そうですね。

馬場 「フリー」って言っていいんでしょうか。

松井 フリーの定義をどうするかですけど、自分の会社は持っていて、ちょっとかっこよく言うと「インディペンデント」ですかね。かつ、そのなかでもかなり小さい規模です。ひとりだけの会社ですしね。

馬場 そういう感じでご商売をされていると言うか生業とされているというのは、多分学生の皆さん、なかなか想像がつきづらいと思います。3年生はこれから就職を考えることになるかと思うんですけれども、仕事をするにあたって、会社に入って会社員にならないと仕事ができないということではなくて、インディペンデントでも十分活動していくということはあり得るのだという、そういう勇気を頂ければと思います。

松井 勇気を持ってね。

馬場 そういうところを今日は見習っていきたいなと思います。では改めまして、自己紹介をお願い致します。

松井 はい。松井宏といいます。年齢は40歳です。映画のプロデューサーという肩書きなんですけれど、馬場先生が今おっしゃったように大きな会社に所属してということではなく、個人でやっています。途中で自分の会社を立ち上げて、会社と言っても社員は僕しかいない、一人会社ってものですけれども。手がけてきたのは、日本映画全体の中で言うと予算的にも小規模の映画です。たぶん自己紹介のPDFを皆さん先に見てもらったかなと思うんですが、ご覧のとおり皆さんほとんど知らない作品だと思います。そういう小さなものをやっています。

馬場 聞いてみますか。ドキドキするような質問ですが。「見たことがある」という方、手を挙げてみて下さい。……おっと。あがらない。

松井 ですよね。

馬場 作品リストはご覧になったかと思います。見てないけど、名前は聞いたことあるなとか、このポスターどこかで見たなとか。あるいは関わっているひと。例えば、三宅唱監督のことは皆さんご記憶だと思うんですけれども。以前に来ていただいた杉原永純さんもお話をされていました。公開作品で一番古いのは何年頃のものですか?

松井 一番古いのは2012年に公開かな。それも三宅監督のもので『Playback』という映画です。学生のみなさん、2012年って何歳ですかね。

馬場 12から14くらいですか。

松井 そしたら仕方ない、ということにしておきましょう。しかもその映画っていうのは、あえてDVDやBlu-rayとかにしてないので。だから皆さんほとんど見る機会がない作品ですかね。

馬場 あえてしなかったっていうのは、どういう戦略なんですか?

松井 いや。これは戦略ではないですね。商売上の戦略でいえば、もちろん劇場公開の後にDVDやBlu-rayにして、しかもその後、僕らみたいな規模だったら、例えば WOWOW さんとか、地上波じゃないTVチャンネルに売って。かつ今だったらNetflixとかHulu、Amazon Primeとか配信方面に売って。商売的にはそこまでやらないとなかなか元が取れない。劇場公開、映画館だけで元を取るってことは、もう難しいです。商売的にはやった方がいいに決まっているんですけれど……なぜかね……ははは……なぜだろうね。あはは。

馬場 ははは。今後益々、コロナの騒動もあって、映画館のみでリクープ考えるっていうのは難しいですよね。

松井 難しいですね。そうなんですよ。最初の『Playback』っていう作品に関していうと、なんでそうしないのかっていうのは、ひとつには、まず、まだ当時 Netflix とか配信系は存在していなかったです。

馬場 2012年ですと、まだまだの時代ですよね。

松井 ただ、もちろんWOWOWさんとか日本映画専門チャンネルとか、いろんな映画を買ってくれて放映してくれるTVチャンネルはあったんですけど。たしか、もう少し三宅監督の名前自体が売れてきて、あるタイミングで、例えばヒット作が出たときなんかに、そこで過去作も一緒に放映しますとかソフト化しますという方が、たぶん商売的にはうまくいくなかなと、そう話し合ったような気がします。

馬場 なるほど。

松井 そういう算段がひとつ。もうひとつは、これは、ひねくれ。

馬場 ははははは。

松井 ひねくれです。監督とも話して、「いや。なんかたまに映画館でやって、そういうときにみんなに映画館に来てもらう」ってのは、いいよねえと。僕ら映画館が好きなので。自宅で見るよりも、個人的には映画館が好きなので。みなさんにご足労願って、わざわざ映画館で見てもらおうという、なんとなくひねくれの気持ちもありました。

馬場 なるほど。お話を伺っていると大前提としてはやはり商品として成立させなければいけないということがありながらも商売っ気のない判断ができるというのが、それがインディペンデントとしての強みのひとつといっていいんでしょうか。

松井 そうですね。まあそれは強みでもあるし、逆に多くの方々からすると「お前ら、商売舐めてるのか?」という感じもあると思います。

馬場 ははははは。

松井 ただ自分たち「インディペンデント」の強みというのは、監督だったり僕みたいなプロデューサーだったり、そういう関わった人々の、こうしたい、ああしたい、現状のシステムとは別のことがしたいっていうのが自分たちの判断でできる。さっき馬場さんが言ったみたいに商売とは別の論理で事を動かせるのがひとつ。これが強みなのか舐めてるのかっていうのは、皆さんに判断してもらうとして。

馬場 ははは。そういう動きが出来るようになったというのも、フィルムを使わなくてデジタルになったので、要はランニングコストが凄く安くなったっていうこともありますよね。

松井 そうですよね。撮影自体が35ミリや16ミリのフィルムじゃなくてデジタルになったのは、いつ頃でしたっけ?

馬場 90年代の最後あたりからなので、始まりとしてはそこからですね。DCI規格(現行のデジタルシネマの方式)がまとまってくるのが2005年です。

松井 そもそもそれはハリウッドの規格でしたよね。

馬場 ええ。ハリウッド発だから成立したといえます。そういうと、日本の小規模映画とは随分と離れたところのものという感じですが、結果的には、大変幸運なことに、鯨にとって便利なものが鰯にとっても便利なものであったというわけです。もっとも、規格はできたけども、劇場の上映設備が整うのは、もう少したってからです。

松井 そう。フィルム・デジタルっていう話では、撮影することをデジタルカメラですることは90年代から行われていた。ただ、ある時までは映画館で上映するには結局フィルムにしてたわけですよね。映画館でかける素材がデジタルになった、DCPですよね、日本でいうと2010年ちょっと前くらいですかね。

馬場 そうですね。ゼロ年代の後半から段々普及していきました。DCPマスタリングのサービス自体は早くからラボでやっていたようですが。普及していくのが2010年のあたりですね。バーチャルプリントフィー(VPF)の仕組みが入って、入れ替わっていきます。ちょっと学生のみなさんにVPFについて、ごく簡単に説明しておきます。先に述べたように、映画館の機材をデジタル化しようとなるわけですが、機材の値段はとても高い。デジタル上映に対応させたからといって、映画館では入場料を高く設定できたり観客動員が大きく変わったりはしないので、映画館を経営する側としてはデジタル化を躊躇してしまう。でも映画業界全体としてはデジタル化するメリットは色々ある。そこで考え出されたのがVPFです。要は映画館の高額機材をどうやって分割払いするかというものです。映画作品がフィルムからデジタルデータになると、配給側の経費は浮くわけです。同時公開の館数分だけフィルム複製したり保管したり運んだりする必要がなくなります。じゃあ、その分のお金で劇場のデジタル化を支えたらどうかと考えました。つまり、デジタルシネマ普及のために必要な費用を映画館だけに支払わせるのではなく、今までと同様の経費が仮にかかるとしたら、というバーチャルなフィルムの費用を考えて、配給側でも負担をするという、こういうものです。

松井 VPFは、いわゆるシネコンだとよく使われているんですけど、そうじゃない映画館っていうのも当然あって。いわゆるミニシアターと呼ばれるようなところ。

馬場 契約によっては、フィルム映写機を撤去しないといけない場合もあったんでしたっけ?

松井 そうそう。でも残してるとこもあるんですよね、ミニシアターだと。まあでも映写室とかの広さも当然かかわってくるし。いまフィルム上映できるところはほとんどなくなっていますよね。渋谷のユーロスペースなんかは残してるはずですが。

馬場 いまフィルム上映できる映画館は、もうごく一部でしょうね。

松井 全国のミニシアターでもごく一部かと思います。少し残念でもあります。いまだにフィルムでしか見れない作品っていうのも、古今東西あるので。

馬場 ともかく、映画館がデジタル化したおかげで、映画の制作費の絶対値が落ちたということでしょうか。

松井 落ちましたよね。もちろんお金はかかりますけど、以前に比べればかかるお金が全体的に落ちた。だからこそ少ない予算で映画を撮って上映までできるようになってきた。そうでなければ僕はたぶん、こういう仕事はできていないです。職業というか、こういう活動はできていないですよね。制作費が落ちた、上映するまでの費用が低くなった、ということは、みんな映画を、以前よりは楽に作れるようにはなった。そうすると、これは世界ではどうか知りませんけど、日本においては、作品数が異常に増えたんですよね。撮られる作品が異常に増えた。ところが、映画館の数なんて限られてるし、スクリーンの数なんてのも限られている。撮られる作品は増えたのにそれをかける場所というのはそんなに増えているわけではないから、完成したけどちゃんと上映できない映画というのも増えましたよね。上映できるとしても、たとえば1日1回のレイトショー上映を1週間だけとか。そういうことが日常的におこなわれるようになってきました。

馬場 今年(2020年)なんか大渋滞になったんじゃないですか。

松井 そうみたいですね。僕の関わった作品で公開作品はなかったですけど、知り合いの関係者に話を聞くと、ミニシアターの映画館で上映してもらう交渉をするときも、映画館側からは「いつ上映できるか、今は何とも言えない」という感じだったそうです。

馬場 予測がつかない感じですよね。

松井 コロナの影響が収束するのか、あと1年続くのか、わからないし。だから、ちょっと大変ですよね。難しい状況になってますよね。

馬場 ところで、学生のみなさんが「映画館に行く」といったら、恐らくシネコンですよね。大きなショッピングモールなんかに併設されているような。そういうところに行って、たくさん作品が並んでいる中から、どれ見ようかな、と。あるいはネットで調べて、先に予約しちゃうなんてこともできるようになっていますけども。日本でこういうシネマコンプレックスがあちこち出来てくるのは90年代からですよね。

松井 そうですね。

馬場 まあネットで予約して見に行くっていうのは、もう少し後ですね。90年代だとまだインターネットも普及し切っていませんし、スマートフォンも無かったので。いつの間にか変わっているんですよね。

松井 僕とか馬場さんは、変わっていく時代をモロに生きていましたね。

馬場 普段は気にしないですが、改めて振り返ってみると、映画館って変わったなって感じます? 僕は映画館は相変わらず映画館だと思うんですけど。

松井 個人的には変わらないかなと。発券や予約のシステムができたり、場所としてすごく清潔感が増したとか、座席が良くなったとか、音の環境が良くなったとか、そういうことはありますけど、でもやっぱり映画館は映画館ですかね。下手したらこの100年間、同じかもしれないですよね、「映画館は相変わらず映画館だ」って。果たしてそれが良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが……。もちろん、映画館が潰れていった現象というのはありましたよね。2000年代、特に2010年前後ぐらいからですかね、ミニシアターやら単館系というのが商売上なかなかやっていけなくなって。シネコンに押されるなり、さっき話題になった上映のデジタル化がうまくできなかったりで。そういう意味で、映画館をめぐる風景というのは、全国的にも変わったなあっていうのはあります。寂しいなあと。ただ一方で、映画を見るいち観客としては、いろいろ便利になったり、環境が良くなったりで嬉しいなあ、という気持ちもありますけどね。

馬場 地元はどちらでしたか。

松井 愛知です。

馬場 愛知だと、地元の映画館というか、小学生とか中学生の時に「映画を見に行く」っていったら、どういうところへ行かれてました?

松井 愛知の岡崎市ってとこなんですけど、名古屋から電車で30分のところかな。小さい頃はドラえもんとかジャッキー・チェンとかの2本立て上映なんかが、市内の映画館でやっていましたよ。スクリーンが2つぐらいの映画館。どの系列の映画館がは覚えてないんですが。でも当然そういうのは潰れました。その代わりにイオンができて、その中にイオンシネマができてっていうのが、いまの現状かな。

馬場 街場のちいさい映画館は潰れちゃうんですよね。学生のみなさんの生活の中には、もうそういう感じの映画館というのが無いかもしれません。そういうところに行った記憶があるかどうか。断絶というと大げさかもしれませんが。そこに線が引かれるとしたら、シネコン世代なのか、それとも映画館といえば商店街の中にスクリーン1つ2つの映画館があって中でたばこ吸ってるおっさんがいるみたいな感じなのか。

松井 みなさんからすると信じられないですよね。普通にたばこ吸ってるおっさんがいて、モクモクしながら映画見てたとかね。ははは。ありえないですよね、今だと。

馬場 近いものを見ようとすると、『ニューシネマパラダイス』とかしょうか。床にも座ってるとか、たばこ吸ってるとか。でもあれも違う感じでしょうか。あんな大騒ぎで見てはいないし。

松井 あれはまた時代が古すぎる!

馬場 何かそういう80年代とかの映画館の雰囲気が描かれた映画ってありましたっけ?

松井 なんかありそうだけどね……、ぱっと思いつかないな。

馬場 そのうち作られそうな感じしません?

松井 何か不謹慎なものを見せられる感じがする。「こんなことになってたの!? 下品! 野蛮!」って。

馬場 ははははは。

松井 でも、たばこの話だと、ロビーで喫煙できる映画館はよくありましたよね。あと、オールナイト上映っていうのも、いまだいぶ減ってきましたよね。夜の22〜23時とかから朝の5時とかまで、映画3本とか4本。それをすごく割安で見られるっていう。それで一気に昔の映画とか見ちゃうのは、僕が学生の時代、90年代後半から2000年代前半あたりは、まだけっこうありました。

馬場 あと、映画館は指定席ではなかったですよね。

松井 早いもの勝ち。そうそうそう。あれ、どっちがいいんでしょうね?

馬場 どうでしょう。落ち着いて作品を鑑賞するという意味では指定席が良いでしょうけど。映画館は徐々に変わっていって、映画の見かたというか鑑賞の体験も変質してるということですね。今後、コロナを機に、またそれが変わるかどうかっていうのはわからないですけど。

松井 映画館に関して、じゃあシネコンとミニシアターと、どっちが良いとか悪いとかいう話ではない。別にそれは共存していけばいいし、どちらも映画館だし。ただ、いろんな環境が違う。例えばシネコンはミニシアターに比べると断然、音がいい。たしかに映像も見やすい。その意味での映像体験だけを求めるなら、シネコンの方が強いです。ただミニシアターでしか観られない作品っていうのもやっぱりあって。そこでしか体験できないっていう映画が当然ある。シネコンでは絶対にかからない映画ですよね。それは世界各国の、あるいは日本国内の映画で、シネコンでは絶対かからないような、野心的な映画だったり、いわゆるアート系なものだったり。だから、どっちも行けばいいんです。シネコンもミニシアターも。
ただ全体としてとにかく、いくら『鬼滅の刃』がヒットしようが、映画館というもの自体の先行きはそれほど明るくない気がしますし、これからどうなるのかなあという感じですよね。家で月980円とか払ってPCやテレビでありとあらゆる作品の中から好きなものを選んで鑑賞している方が楽ちんですし。選択肢も多い。もちろん勝ち負けの問題ではなくて、そういうったものが「普通」になっている時代に、じゃあ映画館ってどうなっていくんだろう、という興味は当然あります。

馬場 コンテンツの流通経路として考えると、シネコンでもミニシアターでも、映画館で見ようが、あるいはネットで見ようが、同じコンテンツを見ているっていうことになるんですけど、鑑賞体験としては大分違うものになりますよね。

松井 全然ちがいますよね。

馬場 例えば、いま、脱線気味に話した「昔の映画館ってこんな感じだった」みたいな話って、恐らくネット配信だとなかなか成立しないんじゃないかなと思うんですよ。

松井 たしかに。

馬場 それぞれの自室で、それぞれの個人化されたデバイスで鑑賞体験が成立しているので、「あのときこんな感じだったよね」みたいな話には全然ならない。

松井 ならないですよね。

馬場 それぞれ見ている環境が全然違うので。そういう意味では、ある作品を外れて共通する体験、映画をとりまく共通の体験のひとつっていうのが失われていると言っていいのか。あるいは別のものが立ち上がっているのかもしれません。例えば、NetflixとかAmazon Primeだとかで、「あのときのサイトのレイアウトが懐かしい」みたいな話になっていくのかな。

松井 ああ、それはすでにありそうですね。でもこれも良い悪いの問題ではないですよね。昔は良かった、とかいう話でもないし、いまこの状況が最高だぜ、ということでもない。例えばNetflixやAmazon primeに比べれば、そりゃあ映画館で観られる作品というのは選択肢がものすごい少ないです。でも正直なところ、自宅で見る作品よりも、映画館で見る作品のほうが体験として強いというか、記憶に残りやすいですよね。これはたぶん多くのひとが実感としているんじゃないですかね。
共通体験の話でいうと、ものすごく選択肢の多い今の時代では、大きな何となくの空気感というものが、ちょっと作られづらいような気もします。いや、SNSやら、自分の好きなものを他人と共有して、そういうコミュニティを作るツールというのは格段に増えていて、ネット上ではそういうコミュニティがどえらいたくさんあるわけですが、一方でそういったコミュニティのタコツボ化も激しくて、排除の論理も強くなっていて……、つまり、もうすこしゆるーく、いろんな好みの違うひとびとが、今こういうものがキテるよねとか、こういう映画を観なきゃだよねとか、そういうゆるーく全体で共有される空気感みたいなものが、いまはなかなか成立しづらいのかなあ、という気がしています。

馬場 何らかのハブが必要なんでしょうか。ある情報を取得するのに、みんなが集まる場所っていうのが。現実の空間だろうが、ネット上の空間だろうが、とにかく何かハブがいると。

松井 でもそのハブですら乱立していますよね。

馬場 プラットフォームですかね。みんなYouTubeにはアクセスするけど、そこで見てるものはてんでバラバラ。あまりにも巨大すぎて、ハブとして機能してない。

松井 まあ。それをゴミ溜めというのか、パラダイスというのか。

馬場 ははは。

松井 それは見方次第だと思うんです。だから、難しいですよね。

馬場 あと、ビデオが出てきたときにも言われてたようですが、過去の作品が手軽に観られるようになるという影響は大きいと。

松井 そうですね。ビデオとかDVDが出てきたときも同じような議論が起きたと思うんですけど、簡単に過去の作品、1950年代とか、1920年代とか、そういう過去の映画にアクセスしやすくなった。それはすごい良いことだ、とても喜ばしいことだ、っていうのがひとつ。でも一方で、やっぱりネガティブな論調もありましたよね。いろいろアクセスしやすくなるが故に、歴史の感覚が無茶苦茶になる、とか。過去からつながる歴史の感覚ってのが破綻してしまうのだ、それは良くないぞ、っていう論調。なんかそういう論調も、もう過去のものなんでしょうかね。

馬場 音楽の方で考えると、例えば、レコード屋に行って、中古レコードを漁るというのは、別にそれで構わないわけです。新しいレコードってのは、あんまり無いかもしれないですけど。古いのでも新しいのでも、なんでもかんでも聞くと。受容の姿勢が映画と音楽とではちょっと違ってるところがあると思いますけど、あえて無視して話を進めると、そのうち、そのひとの中で体系化されるっていうことを期待しますよね。色んなものを摂取して、そのうちに何か整理がついていくのだろうっていう。映画というのは、ラジオ放送しかなかったような状態で。この時間にこれを聞きなさいっていう。

松井 これ逃したら聞けませんっていうね。

馬場 ええ。みんなで時間を合わせて、せーので聞く。それを小屋に行って、特別な場所でやっていたみたいな感じです。記録されたものという点では、生演奏とかコンサートとかとはちょっと違いますが。

松井 でもNetflixでもamazon primeでも、「え、こんな作品が見られるんだ、すごい」みたいなことが、ときどきあるんですよ。今までなかなか見られなかったものが、見られちゃったり。そういう素晴らしいことも起きているんですが、ただ現実には、選択肢がものすごく多いにもかかわらず、多くのひとは同じ作品しか見ない。これだけの膨大な選択肢が、なかなか生かされない。別に『鬼滅の刃』をくさすわけではないですが、みんなそういうものに流れていく。SNSで、そういうものが盛り上がっていればそっちに行くわけだし。まあ、多くなった選択肢が生かされてるかっていうのは、現実としてみると、疑問です。

(4)につづく


特別連載:『映像表現特講』

(1)ゲスト:杉原永純 氏

(2)ゲスト:杉原永純 氏

(5)ゲスト:濱口竜介 氏

(6)ゲスト:濱口竜介 氏