2026年9月29日、メディア学部メディア学科の加藤賢専任講師へのインタビュー記事が、朝日新聞デジタルに掲載されました。西武渋谷店の閉店を前に渋谷の文化史をたどる連載「渋谷考 セゾン文化と再開発の間で」の一本で、今から30年ほど前に一世を風靡した「渋谷系」と呼ばれる音楽と、渋谷という街の関係について、ポピュラー音楽研究者の立場から語っています。

レコード店の売り場から生まれた「渋谷系」

ピチカート・ファイヴやコーネリアス、小沢健二、オリジナル・ラブ。1990年代、昔の洋楽や映画のエッセンスをちりばめた軽やかなサウンドで人気を集めた「渋谷系」は、いまでは「渋谷が生んだおしゃれな音楽文化」として語られることがよくあります。

ところが加藤専任講師のお話によると、この呼び名はもともとミュージシャンが名乗ったものではなかったのだそうです。1993年ごろ、HMV渋谷店のような外資系の大型CDショップで、全国的にはまだ無名のアーティストが店のランキング上位に並ぶ現象が起き、そうした「渋谷のお店でだけ売れている音楽」を指して雑誌などが使い始めたのが始まりです。外から付けられたラベルだったため、当のアーティストの中には、この呼び方を嫌がる人も少なくありませんでした。

30年後、街の顔として再注目された「渋谷系」

その「渋谷系」が、2010年代以降に再び脚光を浴びます。訪日観光客が増え、駅周辺の大規模な再開発が進むなかで、渋谷区がポップカルチャーを街の財産として打ち出すようになったからです。区の将来像を描いた「基本構想」のPRソングを、元ピチカート・ファイヴの野宮真貴さんとカジヒデキさんが手がけるなど、アーティスト自身も渋谷との結びつきを前向きに引き受けるようになりました。

音楽と場所の結びつきは、はじめからそこにあるのではなく、後からつくられ、組み替えられていく。加藤専任講師は、その過程を研究しています。

研究の出発点は、憧れの「空振り」

愛知県の小さな町で育った加藤専任講師にとって、テレビや雑誌が若者文化の最先端として描く渋谷は、どこか「フィクショナルな場所」でした。旅行で実際に訪れた際、そのごちゃごちゃした街並みは、メディアで見ていた渋谷と同じ場所とは思えなかったといいます。研究は、その憧れが「空振り」したところから始まりました。

大学進学を機に上京して「渋谷系」の音楽に出会うと、今度は「あの渋谷に、こんなにおしゃれな時代があったのか」という驚きが待っていました。ピチカート・ファイヴを聴きながら、かつてHMV渋谷店があった場所に立ってみる。小沢健二を聴きながら公園通りを歩いてみる。建物や店が次々に入れ替わる都会では、わずか20〜30年前の風景でも痕跡はすぐに見えなくなります。古い雑誌を集め、当時を知る人に話を聞きながら、街の下に埋もれた過去を掘り起こす。加藤専任講師は、こうした自らの研究を「考古学」になぞらえています。

加藤専任講師のコメント
身近な街も、いま目に見えている姿だけがその街のすべてではありません。歌や雑誌、映画やテレビの中に、少し前の街の姿がたくさん埋もれています。メディアを手がかりに街の過去を掘り起こしてみると、見慣れた風景がまったく違って見えてくるはずです。メディア学科で、一緒に都市の「考古学」を学んでみませんか。

記事は有料会員限定ですが、関心のある方はぜひご覧ください。

<掲載情報>

記事名:「渋谷系」が行政と結びつくまで 都市と音楽文化、若手研究者が語る
掲載日:2026年9月29日
媒体:朝日新聞デジタル(連載「渋谷考」インタビュー編)
https://digital.asahi.com/articles/ASV9X312CV9XUCVL016M.html
関連論文:加藤賢「渋谷に召還される〈渋谷系〉――ポピュラー音楽におけるローカリティの構築と変容」『ポピュラー音楽研究』第24号(2020年)