学部基幹科目(方法論領域)の一つである「メディア取材法」。その授業の一環として、メディア学科の2年生25名が林芙美子記念館を訪問取材しました。その様子を、学生がレポートします。今回の記事はメディア学科2年の長内優太さんが執筆したものです。

「林芙美子記念館」取材体験記

4月29日(月)のメディア取材法の授業で、目白大学から徒歩10分のところにある「林芙美子記念館」を訪問し、ガイドボランティアの方による館内の解説を受けた後、記念館の見学・撮影、インタビューなどの取材活動を行いました。

ガイドボランティアの方による解説を受けました。

この記念館は、『放浪記』『浮雲』などの代表作で知られる小説家・林芙美子が昭和16年から昭和26年に亡くなるまで住んでいた旧居を、一般に公開しているものです。

今回は、受講学生が各々何を知りたいか事前に考えて取材を行いました。私は、“家に対する彼女の思い”と“案内人の方々の思い”の二つを知りたいと考えました。

一つ目については、芙美子の親は行商人だったことから、家が無く寂しい幼少期を送ったため、人一倍家に対する気持ちが強かったということがわかりました。そして、数寄屋造りの平屋を設計するために何度も京都に訪れていたそうです。また、京都では苔寺で生えていた竹に心を奪われ、家の庭に竹を植えたということもわかりました。戦時中には、その竹が火の粉から平屋を守ってくれたという逸話も聞くことができました。実際に見学してみると、竹の他にもモミジなども植えられており、四季の移ろいを感じられる庭になっていました。そして、それらを見ることができるように窓辺を大きくしたお風呂場に、彼女のこだわりが見て取れました。

館内にあるさまざまな展示を撮影しながら取材しました。

二つ目については、林芙美子記念館の開館日にはガイドの方がいますが、全員がボランティアで活動を行われているということに驚きました。お話を伺ってみると、定年後にガイドボランティアを始めたという方が多かったです。始めた動機は、自分の地元について大勢の人に伝えることと、時間を有効活用することの二つが主でした。ガイドボランティアになりたての頃は、説明をしながら林芙美子について学んでいたそうです。

私は、今回の取材を終えて、林芙美子記念館を知らない人に向けて情報発信をしていきたいと考えるようになりました。当日は祝日だったため、多くの見学者がいましたが、芙美子自身に興味を持つ人、また家屋や庭の自然に興味を持つ人などさまざまでした。なので、さまざまな人が楽しめる記念館だということや、ガイドボランティアの方々がどのような思いで仕事をされているかについても伝えていきたいと思います。

林芙美子記念館の皆様、今回は、お忙しい中、私たちの訪問を受け入れてくださり、誠にありがとうございました。

取材後に受講学生が作成した記事3例。