今年の4月に新たに着任した、映画批評、映画史などを専門とする杉原先生に、ご自身の研究内容やこの記事を読んでいるアナタヘのメッセージを伺いました。
どんな授業を担当されていますか?
メディア発達史
メディア=メディウムは、人が生きてきた時間とともに存在してきました。そしてその在り方と活用法は、時代とともに変化してきたことも事実です。たとえば、19世紀初頭に発明された写真術はさまざまな分野に影響を与え、いまもなお欠かせないものとなっています。
加えて、20世紀末に起こったインターネットの発明は、誰も想像したことがなかったようなメディア=メディウムのパラダイムシフトとも言うべき変化をもたらすとともに、私たちの日常をガラリと変えてしまいました。
こうしたメディア=メディウムの発達の歴史をたどりながら、その変化/変容がもたらしていった〈表現〉への波及効果ということを主眼におきつつ考えてゆきます。
映画論
あらゆる映像表現の根本にあるもの、それは映画です。
19世紀末、フランスのリュミエール兄弟によって発明されて以来、いまや映像は日常生活になくてはならないものになっています。逆に言えば、私たちが日常的に接している映像の根幹には、映画によって培われた表現とコミュニケーションの原則が横たわっており、それを正しく理解することがとりもなおさず重要なのです。
映画の歴史、すなわち映像の歴史をたどり直しつつ、そこに明らかになってゆく表現とコミュニケーションの原理と問題点を、実際の映像によって検証し、明らかにしてゆきます。
普段どんな研究を行っていますか?
いくつかの領域に関心がまたがるものの、主として映像をめぐる国民国家との問題とその発展系、それに自由間接話法について、いまもっとも興味をもっています。
「アメリカと映画は同義語だ」というのは、フランスの映画批評家であるセルジュ・ダネーが言った言葉ですが、映画は国家との関係において特殊な地位を占めてきました。昨今、ハリウッドで流行しているコミック・ヒーロー映画も、新たなアメリカのありようを示しているのかもしれません。
また、自由間接話法については、言葉そのものは難しいのですが、日本文学においては平安時代から存在しており、『源氏物語』にその典型を見いだすことができます。つまり、語り手が明確ではないにもかかわらず誰かの発話によってひとつの物語が語られてゆくという構造を、小説と映画、相互に対照化することができるのではないか。そこからさらに、マルグリット・デュラス、あるいはジャン=リュック・ゴダールの諸作品を検討しているところです。
この記事を読んでいるアナタへのメッセージ
いま、私たちの日常は、映像なくして1日たりとて過ごすことは不可能になっています。
ところが、私たちは映像に含意されている意味作用をきちんと理解できているのか? なんらかの意図がこめられた映像を読み解いてゆくことによって、より多様で多彩なメッセージに触れることができるのではないか。アート、エンタテインメント、そしてインフォメーション……メディアが拓いてゆくものはこれまでも、そしてこれからも、きわめて大きいものです!
プロフィール
氏名 | 杉原 賢彦(SUGIHARA Katsuhiko) |
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職位/担当分野 | 特任准教授/メディアと表現・技術分野 |
専門 | 映画批評、映画史、映像分析、フランス文学(19世紀) |
担当予定授業 |
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所属学会 |
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研究内容 |
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主な著書・論文 |
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